ミニドラマ制作でのちょっとしたAI活用

今回、初夏のさわやかなキャンパスを背景に、ヤングケアラーと青春をテーマに、学生たちと6分のミニドラマを制作した。なかなか学生たちの演技も達者で、ドラマ制作にはまだ不慣れな私たちではあるが、自分としてはそれなりに良いものができそうな予感はある。いま、学生が色補正をやっているが、5月末に映画祭に応募する予定だ。

今回もAIは以下のような箇所に少し活用している(生成AIは1と3のみ)。

  1. オープニングタイトルデザイン
  2. はめこみLINE画面の作成
  3. 他、実在だと問題のあるシーン(オチに関わるため明かせない)
  4. カーテンの柄をごまかす
  5. ゴミ袋など画面上の邪魔なオブジェクトの除去

脚本にはAIは使わないようにした。なんか自分たちの頭の中ではない別のところから余計な要素が入ってくるのが、ノイズになる気がしたからである。それぞれプロの領域ではたぶんこんな感じで、肝の部分にAIは使わないかもしれない。自分の考えや志向をストレートに反映させたくなるのである。

Image generated by Adobe Illustrator at the prompt “Illustration of college students making a film on a beautiful, large campus”.

  
むしろ、こだわりのない部分というか、さっさと処理したい部分にAIを活用する感じだろうか。しかし、AIや生成AIの技術を分かっているのと分かっていないのとでは、映像制作のフローはだいぶ変わるだろうという気はする。例えば、今回はロケの時間が取れないため、ゴミ袋が背景に入っていることは分かってはいたが、あとでAfter Effectsで消そうと思いながらFIXで撮影しておいた(PANしたりクロスすると、消せなくなる)。

(2024/5/17)

メディア教育への生成AI活用

来年度から生成AIを授業に積極的に活用していこうと考えている。イラストレーターや文筆、映像などむしろクリエイターにとって生成AIの影響は大きいようだ。
ひと昔前は単純作業やホワイトカラーの定型労働を置き換えるイメージだったが、それはAIというよりDXによる自動化ということかもしれない。例えば、ナレーションにAI音声を使用している制作者が今は多い。これも生成AIというより、AI中心の技術で単純な読み上げとして置き換えられている。
生成AIは、単純な作業の置き換えではなく、もっとアシスタント的な役割だ。昨年から自分の映像制作においては、タイトル、翻訳、背景画像・CG、デザインなどに少し生成AIを使ってみている。感想は以下のようなものだ。
 

Adobe Fireflyで作成した「氷の世界にたたずむ少女と犬」

   

生成AIを使ってみて

我々のような制作者の場合、すでに頭の中にイメージがあって、それをテキスト表現を使って、思うような素材を出そうとするのだが、映像のイメージをテキストで表現するのが難しく、自分で作った方が早いと感じてしまう。
フリー素材を探すのと、生成AIで出すのとどっちが早いかという感じで競合するケースもあるが、今のところは慣れたフリー素材サイトで探したほうが早いかもしれない。
特に生成AIで作ったアート系の画像は、AI特有の気持ち悪さ、不気味さがあって、使いにくいケースがある。感情を感じさせるような温かみのある個性的なデザインはまだ難しい。
いずれも、制作者の求める基準と微妙にずれていることから生じる違和感に対してどう向き合うかということである。
 

導入しやすいプロセス

使いこなすには様々なノウハウの蓄積が必要だと感じた。映像制作においては以下のワークフローにおいて現段階でも役に立つと思う。

1)企画のためのアイデア出し、資料集め、事実関係の整理
2)膨大なインタビューの要点整理、書き起こしのケバ取り
3)使えそうな素材のピックアップと整理(将来的には)
※現段階では難しい。ただ将来的にはユーザーの編集傾向をソフト内に反映させることはできそう
4)色補正、音量調整
※似たようなことはもうすでにできるが、AIを使っているわけではない
5)モザイクやコンテンツの塗りつぶしといった細かい修正作業
6)テロップデザイン(特にパターン化された大量の内容)
7)音響効果
※これもイメージ通りの音を作るのは現段階では難しく、フリー素材から探した方が早いという段階
8)タイトル制作、翻訳など
※ただ、あくまで補完的な作業である。最終判断をするためには、相応の経験を積んで価値判断ができる人間がいないと、AIを補完的に使うことさえもできないだろう。

特に3)の膨大な素材から適切なカットを選ぶというのはニーズがあるが、まだ実装できていないのではないか。報道やドキュメンタリー、イベントものでは撮影素材が膨大な量にのぼる。この抜き出しを効率化したい制作者は多いはずだ。
 

導入しにくいプロセス

上記のような生成AIの使い方は、映像制作の中でも補完的作業だといえる。ただし以下のようなものは現段階においてもなかなかAIでは置き換えられにくい。

1)企画書の制作
企画書を出す相手は感情のある人間であるため、どこが刺さりやすいかはやりとりをした人でしかツボは分からない。
2)予定調整、段取り、スケジュール作成
これも関係者間でのやりとりなのでAIに任せてできるというわけではないし、別に自動化して楽になるわけでもない。
3)撮影・ロケ
ビデオカメラとかデバイス自体が進化して、撮りやすくはなるだろう。ただこういう身体的な動作は人間がやるしかない。プロカメラマンを呼ぶ現場が減る可能性はある。その場合はサブディレクター兼カメラマンといった新しい役割が生まれるし、すでにそうなりつつある。
4)編集・ストーリーテリング
これも企画作業と同様である。どのようなストーリー展開が視聴者に受け入れられるのか、入力する手間の方が大きいし、自分で考えたほうがイメージ通りのものを作りやすい。
 

AIを使いこなすには

実際に使ってみれば、イメージ通りのものを出すのが難しい。まだノウハウや実践事例が少なく、きちんと使いこなせすには経験が必要となる。ワークフローに生成AIを活かす仕事さえ短期的には生まれるかもしれない。

こういう変化が早すぎる分野に下手に首を突っ込まない方が、徒労に終わるリスクに巻き込まれないかもしれないが、私はAdobe のEducation Leaderというのに関わったこともあるので、生成AIはもっと使ってみたい。

いずれにせよ教育で使う場合は、自分なりに創作や価値判断できない学生の段階では、AIを使いこなすのは難しいし注意すべき点が多い。私も正直、あまり有効には使えていない。学生のように自分の感性や表現の軸が定まらないうちにAIを多用するのは、単に機械に使われるだけの存在になってしまう危険性もあると思う。
技術が発展すれば分野によっては制作者が不要になるだろう。とりわけストーリーや意図が明確でない内容、あるいはシンプルな内容は、AIで作りやすい。例えば、空撮による大学キャンパス紹介のとか、来場者の良いリアクションや表情を中心にイベント紹介映像を作るとか、ストーリーや意図が薄い編集は、AIによって自動化しやすいはずだ。

(2024/3/26)

新年の抱負というか方向性というか

新年に特別な区切りは意識していないが、一応、抱負みたいなものを書く。昨年の4月に部活を作って、やる気のある学生たちと賞やコンクールに応募していこうと決めた。運動部でいえば試合のようなものかな?12月にようやくそうした成果を2つ出せたので、今後もその方向性で続けていくつもりだ。

大分県佐伯市の高平キャンプ場より(本文とは関係ありません)


適切な指導がなされないと学生たちは映像制作や作品の公開は難しいし、私としても学生がいないと何もできない。お互いに補いながら、しばらくは全力で良いものを作り続けていくのが中期的な方向性である。

これまでもそうだが、大きな方向性を決めて数年単位でこつこつと実績を積み上げないと次のステージはいけない。その意味では、まだ大阪に慣れてきてようやくスタートラインに着いたといったところである。その先の構想もあるが、何十手も先のことは不確実性が高く、考え過ぎてもあまり意味がない。

ディレクターを辞めた頃はまず大学でのポジションを固めないといけなかったので、慣れないながらも研究ぽいことで成果を出していかざるを得なかったが、映像制作に注力する段階に来たことでようやく本来の仕事に立ち戻った感もある。

一方でJSTと始めた科学広報の映像制作も楽しみである。私も改めてM先生に学びながら、平行して取り組んでいきたいし、科学コミュニケーションの仕事に関してはここから広げていきたい。

本務である管理職業務に関しては結構頭の痛いことも多いが、粛々とまっとうするしかない。もう年も年なんで、予算や採用、全体を構想する仕事が増えてくる。学生とわいわいやってるだけなら楽しい仕事だがそうもいかない。降り注ぐ事務を効率的にこなすには慣れが必要だ。

2024/1/3

地方創生と科学の番組

今年はたまたま地方創生の専門家の方と動画制作で協働できそうなので、地域やまちづくりをテーマに学生たちと活動をしたいと考えている。その方と打合せしていて、そういえば自分も自然番組や科学番組以外にも、「新日本紀行ふたたび」というドキュメンタリーもたくさん作っていたなと思い出した。もしかしたらサイエンスと地域取材が自分の二本柱なのかもしれない。

那智の滝(本文とは関係ありません)

地域がなぜ身近かといえば、私もそうだが誰でも登山やキャンプ、釣り、温泉旅行などで地方を訪れることはあるだろう。道の駅で特産品を買ったりもするし、博物館に寄ったりもする。田舎出身の人も多いし(私も姫路のはずれ出身)、多くの人にとっても地方創生は身近なテーマである。また歴史や地理、都市計画は当然として、地球科学や植物、動物学なども、地域風土とのつながりが深い分野だ。そうした地方と科学がクロスオーバーしたところを狙ってヒットしたのがNHKの「ブラタモリ」だろう。

ブラタモリの視聴者がみんな地理や地形学が好きかというとそうではなく、入り口は旅したことのある地域やなじみの地域、自分の住んでいるエリアだからということでまずは見る。そして、あの特徴的な岩にはこんな意味があったのかと改めて感動する。一般市民の「旅や観光」という身近な文脈から、地球科学や歴史学に巧みに誘うところがあの番組のすごいところである。またまったく予備知識ゼロで臨むというタモリもすごいが、専門家を含めて完璧に準備する制作陣もすごい。

というわけで、今年は地方創生に関わる動画を作っていこうかと考えているところだが、可能ならば科学技術要素も時々入れてブラタモリ的な演出を狙っていきたい。

2023/2/28

北の果て一人生きる

NHK総合で1月3日に放送された漁師のドキュメンタリー「北の果て一人生きる 浜下福蔵92歳」。日本最北の離島・礼文島のさらに最北の鮑古丹(あわびこたん)という地区で生まれ育ち、体力の問題で引退した老漁師を描いている。朝から海や自然を見つめ、毛筆で自作の詩をしたためる。素直で力強くありのまま感じたことを筆で表現するのだが、その詩が素晴らしい。

©NHK

特にラグビーでの挫折を抱えた大地さんという若者と仲良くなるシーンが心に残った。彼は昆布漁の短期アルバイトで鮑古丹にやってきていた。若者たちから孤独を癒やしてもらい、力をもらっていることを福蔵さんは感じていた。

「底知れぬ力をもって(礼文島の)花が”大地”に顔を出す」「なんだこの男は大地?俺の書いているのと同じではないか」「それもそのはずご両親が喜びあふれて、この子を誰よりも良い者に育て、良い者になって欲しいと」思いを込め君に名付けたのだと。そんなことを詩で伝えていた。それまでニコニコしていた大地さんも顔が引き締まった。

なかなか良い詩になったと思ったのか、「今の録音してた?」と聞くところもお茶目だ。「いや、撮ってないけど、今のはテレビカメラで撮れてる」と大地さん。

たったひとりで最北の港をずっと守り続けているので、福蔵さん自身はもはや達観して孤独を感じなくなったのかと思いきや、最愛の妻を失った孤独は今も全く癒やされておらず、寂しくて泣く日もあるという。しかしこうした若者たちとの出会いを経て、最後は「強くなければ生きていけない」と夕闇の海に向かってつぶやく。

こんな厳しい環境での生活は自分には到底できないが、我慢も多かった若い頃と違って、年齢を重ねて徐々に自由に生きられるようになってきた。仕事は全然違うものの、福蔵さんを見習って、他者や自然から生きる力を得ながら、シンプルに生を楽しめればいいのだということを教えてもらった。

1/10まではNHK+で見られるのでどうぞ。

2023.1/7

オートエスノグラフィーの困難

科学コミュニケーションと映像に関しては、まだ何も自分は研究的な活動は始められていないなと思っている。
ある著名な広告・マーケティング分野の方が北海道大学アイヌ・先住民研究センター、石原真衣氏の「〈沈黙〉の自伝的民族誌(オートエスノグラフィー) サイレント・アイヌの痛みと救済の物語」を紹介していた。私はまだ読んではいないけど。
科学コミュニケーションにおいても実践内容を報告として学術誌に掲載するということがよくある。これは、オートエスノグラフィー(著者自身が個人的経験を調査する質的研究の一種)と言えなくもないだろう。しかし時に自分たちの活動を自己省察することは、客観的に論述していく科学的手法と相反する困難さが常につきまとっている。

大阪市中央公会堂(記事内容とは関係ありません)

誰か研究者が、ディレクターである私を調査してくれれば、いろいろ自分から引き出せるような気もするが、自分自身でそれをやるのは非常に難しい。科学コミュニケーションと映像などという分野をやっている人間は他にこれまでほぼ誰もいなかったが、今は少し仲間が増えつつある。私自身はそろそろ映像を作るだけでなく、調査する側としても、あまり好きな仕事ではないが実践者から経験や知識を引き出さないといけない。

とはいえ、ここ数年は映像を制作しながら、そのプロセスを客観視するように努めてきた。自分で編集しながらも、どのようなロジックで映像を選択し並べているのかといったことを観察しているつもりである。メディアで仕事をしていた頃とは違い、今は全行程をほぼ一人で短時間のうちにまとめないといけない。特に編集や台本制作は直感的にこなしている。だいたいは短い期間で作らないといけないので制作のプロセスはかなり省略する。

最近は正味3日くらいで集中して作ることが多い。素材が少ないことがよくあるので、若干、パズルを解くような作業でもある(3日で編集が終わるという意味ではない)。どのカットを使えば、見ている人の気持ちに訴えられるかという感情の部分と、ストーリーの整合性といった論理の部分の組み合わせで、直感的にストーリーや映像の順序を選び取っているようである。だが、このような自分の思考回路でさえ把握するのは難しい。
この直感は制作の仕事をする中で徐々に培われたもので、他のディレクターにもそれぞれの方法論があるだろう。それを個別に明らかにすることに正直それほど意味があるとも思えないのだが、何かその先に意味を見いだすことができるかもしれない。

2022/12/30

映像制作とDAO

頼まれ仕事が多く、最近はちょっと疲れ気味。2月になったら少し落ち着くだろうか。

前の記事で映像制作の役割分担について書いたが、それは、少し前からDAO(非中央集権型自律分散組織)に興味があるからだ。以前は会社組織を考えていたこともあったが、現在はブロックチェーンによってプロジェクト型の可変的な組織を作ることができるようなので、そちらの方が映像制作とは親和性が高いかもしれない。

難波宮跡(なにわのみやあと)公園(記事内容とは関係ありません)

たまたま、堤幸彦監督、本広克行監督、佐藤祐市監督が「SUPER SAPIENSS」というトークンを基盤とした共創コミュニティを作るということで、関係者からお声がけいただいた。私がぼんやり考えていたことを、ドラマ・映画界のカリスマである3人が既に実施しているということで非常に興味深い。DAOやNFT自体よく分からないという方は、このサイトなどを参考にしてほしい。

最近、メディア業界のヒエラルキー構造は弱まっている。広告予算の減少もあるが、インターネットやデジタル技術によって情報流通と技術的な優位性の2つのボトルネックが崩れたことが大きい。誰でもYouTubeなどで動画配信をして広告費を稼げる時代にあっては、フラットにプロジェクトメンバーを組み替えるチームの方が機動的に創作がしやすい。

映像の受け手にも変化は及んでいる。若者は映画やドラマを除けば、内容が凝縮された高品質なコンテンツをあまり見ようとしなくなった。むしろ気の抜けたVログや、感覚だけで見られるMVを好む傾向がある。
良い番組を見せればもちろん感動はするが、上の世代が「この情報が面白い、意義がある」として作ったものはなんとなく億劫というか、意味づけの強いものを避けるというか、「別に今は何か知りたいわけではない、特に何か分かりたくはない」という心情にはまりにくくなっているのかもしれない。もちろん自分もそういうときはある。選択肢が増えたということでもある。

若者からすると、作っている側の人間の”ノリ”が、自分に合ってるかどうかのほうがむしろ大事であり、DAOやNFTが今後、映像プロジェクトを育てていく手法として取り入れられていくのではないかと考える理由である。例えば、コンプライアンスが今ほどうるさくなかった頃のフジテレビの”ノリ”は世間の空気と確実に合っていたように思う。

私も個人や大学で映像制作を請け負うことはある。動画の単価は安くなる一方なので、会社だと組織維持がだんだん難しくなっていくように思う。やるとしたら小規模な組織か、フリーランスなどがDAOによるコミュニティを育て、複数のプロジェクトを走らせていくという形が今後も出てくるだろう。

2022/12/3

映像制作の組織内製化について

大学や研究機関の科学コミュニケーションにおいて、映像制作が活用される機会がますます増えてきた。私が大学に転職したのが2009年ごろだが、最近は隔世の感がある。
以前とある研究機関の方から、外部の映像プロダクションとの意思疎通がうまくいかず、組織として考えているような広報映像や学術映像を作ることができないと相談を受けた。

TV番組ぽくなってしまったり、ありがちな味気ない講習動画みたいになる、または研究内容のコアの部分を理解していないことを指摘しても、この方が一般の人には分かりやすいとか、映像制作の文脈ではこちらが正しいと押し切られてしまう感じらしかった。

札幌岳登山道より(記事内容とは関係ありません)

クライアントと制作側、どちらの方針が結果として正しいかは分からないが、少なくとも研究機関の意志を反映させるには、一定程度の内製化が重要ということになるだろう。とはいえ、全部、内製できるだけの能力や余裕があればそれでよいが、やはり外部の手を借りるほうが効率も質も上がる。

以前聞かれた時はうまく答えられなかったのだが、最近、様々な組織と一緒に制作するにあたって、比較的内製化しやすい部分とそうでない部分があるなと分かってきた。

1.内製化しやすい業務
・プロデューサー(内容・品質チェック)
・ディレクター(連絡・調整)
・静止画、動画素材の調達
・スチルカメラ(一眼レフ。インサートや広報写真用)
・ビデオカメラ(風景やインサートカットのみ)
・公開業務(告知用文章、サムネイル作成、アップロード等)

2.外部に依頼したほうが良い業務
・ディレクター(演出・構成)
・ビデオカメラ(インタビューや演出上必須の映像等)
・一眼レフによる動画撮影
・音声
・編集
・デザイン
・ナレーション制作
・MA・音響効果
・CG、解説図

3.協働する業務
・プロデューサー(コンセプトメイキング)
・テロップ内容
・ドローン撮影(これはケース・バイ・ケース)

この3つの役割分担は流動的に変化するので、自らの組織にとってどういう体制がよいかは相対的である。例えば、デザイナーが内部にいる場合もあるだろう。現時点では、このベストミックスが以前の相談への回答になるかもしれない。

また内製比率を高めたい場合は、2の業務に関して研修を行うことで、内部のスキルを高めていくことができる。ただ、一口にSD研修といっても、組織として目指すゴールや体制を設定できていないと、ぼんやりとした成果しか得られないかもしれない。

2022/8/28

人生の落とし穴

人生どこに落とし穴があるか分からない。長い人生を生きていく中で、いきなり何の予告もなく、深い闇に落ち込んでしまうことがまれにある。暗闇の中、一瞬、何が起きたか分からず、走馬灯のように過去を思い出す時間もなく、またたく間に着地する。

そしてスマホの画面が割れ、何か気持ち悪い緑色の藻と泥でジーパンがびっしょりになってしまっている。インターネットカフェのシャワールームで洗濯したものの匂いがとれない。

それにしても、ほんとうに用水路はぴったりと完璧に鉄製の網で蓋をしてほしい。NHKでも危険な用水路についてのニュースがあった。

行ったことのない街で真夜中に歩きスマホは絶対にやめよう。皆さんもリアルな落とし穴にくれぐれもご注意を。

2022/6/9

2022 新年の抱負

今年で錦鯉の長谷川と同じく50歳になる。こないだ同窓会的な忘年会を札幌でやったが肩が痛い、近くが見えないなど情けない話題と、子供が大学に入っただ、受験だなんだ中年トークでひとしきり盛り上がる。

ここで今後の仕事に夢も希望も無いとなると、なかなか寂しいものがあるが、まだ若い学生と一緒に何かを作るような仕事でよかった。私自身の発想が枯れても、若い子たちからいくらでも出てくる。自分の仕事はそれをうまく着地させ最終的な成果物にもっていくことかな。

富良野スキー場にて

簡単にまとめると以下のような抱負になるだろうか。

  1. 付加価値の高いコンテンツをつくる
  2. 若い人の新しい発想を大事にする
  3. 才能をオーガナイズする

1は、具体的にいうと、私のように小規模な個人商店では普通に映像を作ってもまず見てもらえないので、何かしら表現方法に新規性をもたせることだ。今は学生の発案で、小規模なプロジェクションマッピングに取り組んでいるが、それもAfter Effectsを使えば誰でもできるレベルのものである。しかし、VRやARなど組み合わせによっては、注目してもらえるようなコンテンツが作れるかもしれない。昨年投稿した論文では「体験型映像」と名付けている。

2は、価値観が転換している今の時代においては、自分の感覚は当てにせず、若者の発想力に頼るということだ。もちろん彼ら彼女らは最後までやり切る経験やノウハウに欠けている。そこを補いながら、着地まで持っていってあげることが年長者の仕事である。ましてや教員なのでそれがメインだ。だから、突飛な発想であっても、無理だとは言わず、どうすれば最後までもっていけるかを考える。

3は、これまで個人で形にすることが多かったが、今後は才能をうまく組み合わせて相乗効果を出すことが今の立場では重要だ。なので、安い仕事を請けて一人でやり切るみたいなのはもう止めたい。自分でできないことといえば例えば、デザインや音楽、アニメーションなどだが、こうしたジャンルの優秀な人をどんどん組み合わせて大きい成果につなげたい。

学生に表面的な技術を指導するのはそれほど難しくない。本当に難しいのは、コンテンツそのものを作る、つまりきちんと企画・構成して意味のある作品に仕上げるということだ。普通に良質な映像作品を作ってもそれほど注目を浴びることはないのだが、本来はそうした「内容そのもの」をきっちり作るのが一番難しい。そういう意味ではテレビとかで鍛えられた人は強いなと思う。科学番組を作るのにあまり科学のバックグラウンドは必要ない。大事なのは経験によって鍛え上げられた感覚である。

2020年にはフリーのような状態になっていろいろな選択肢が自分の前に示された時があったのだが、昨年のように、専任教員を軸にたまに本務に役立つような形での動画作品を作るのが自分にとっては最適だった。事務系の専門職みたいな話もあったのだが、こちらは本当に向いてないとつくづく思った。しっかりした事務がバックにいると心強いが、私自身は仕事で少しでも非効率なところがあるとすぐ嫌になってしまう性分なので書類仕事は難しい。

というわけで、今年も引き続き昨年の路線で教育3+制作1くらいの割合でがんばっていきたい。

追伸:過去の年賀状を失くしてしまったのと住所録が文字化けしてしまっていたので、年賀状は来た方にだけ追々出していきます。すいません。

2022.1/2