新年の抱負というか方向性というか

新年に特別な区切りは意識していないが、一応、抱負みたいなものを書く。昨年の4月に部活を作って、やる気のある学生たちと賞やコンクールに応募していこうと決めた。運動部でいえば試合のようなものかな?12月にようやくそうした成果を2つ出せたので、今後もその方向性で続けていくつもりだ。

大分県佐伯市の高平キャンプ場より(本文とは関係ありません)


適切な指導がなされないと学生たちは映像制作や作品の公開は難しいし、私としても学生がいないと何もできない。お互いに補いながら、しばらくは全力で良いものを作り続けていくのが中期的な方向性である。

これまでもそうだが、大きな方向性を決めて数年単位でこつこつと実績を積み上げないと次のステージはいけない。その意味では、まだ大阪に慣れてきてようやくスタートラインに着いたといったところである。その先の構想もあるが、何十手も先のことは不確実性が高く、考え過ぎてもあまり意味がない。

ディレクターを辞めた頃はまず大学でのポジションを固めないといけなかったので、慣れないながらも研究ぽいことで成果を出していかざるを得なかったが、映像制作に注力する段階に来たことでようやく本来の仕事に立ち戻った感もある。

一方でJSTと始めた科学広報の映像制作も楽しみである。私も改めてM先生に学びながら、平行して取り組んでいきたいし、科学コミュニケーションの仕事に関してはここから広げていきたい。

本務である管理職業務に関しては結構頭の痛いことも多いが、粛々とまっとうするしかない。もう年も年なんで、予算や採用、全体を構想する仕事が増えてくる。学生とわいわいやってるだけなら楽しい仕事だがそうもいかない。降り注ぐ事務を効率的にこなすには慣れが必要だ。

2024/1/3

地方創生と科学の番組

今年はたまたま地方創生の専門家の方と動画制作で協働できそうなので、地域やまちづくりをテーマに学生たちと活動をしたいと考えている。その方と打合せしていて、そういえば自分も自然番組や科学番組以外にも、「新日本紀行ふたたび」というドキュメンタリーもたくさん作っていたなと思い出した。もしかしたらサイエンスと地域取材が自分の二本柱なのかもしれない。

那智の滝(本文とは関係ありません)

地域がなぜ身近かといえば、私もそうだが誰でも登山やキャンプ、釣り、温泉旅行などで地方を訪れることはあるだろう。道の駅で特産品を買ったりもするし、博物館に寄ったりもする。田舎出身の人も多いし(私も姫路のはずれ出身)、多くの人にとっても地方創生は身近なテーマである。また歴史や地理、都市計画は当然として、地球科学や植物、動物学なども、地域風土とのつながりが深い分野だ。そうした地方と科学がクロスオーバーしたところを狙ってヒットしたのがNHKの「ブラタモリ」だろう。

ブラタモリの視聴者がみんな地理や地形学が好きかというとそうではなく、入り口は旅したことのある地域やなじみの地域、自分の住んでいるエリアだからということでまずは見る。そして、あの特徴的な岩にはこんな意味があったのかと改めて感動する。一般市民の「旅や観光」という身近な文脈から、地球科学や歴史学に巧みに誘うところがあの番組のすごいところである。またまったく予備知識ゼロで臨むというタモリもすごいが、専門家を含めて完璧に準備する制作陣もすごい。

というわけで、今年は地方創生に関わる動画を作っていこうかと考えているところだが、可能ならば科学技術要素も時々入れてブラタモリ的な演出を狙っていきたい。

2023/2/28

オートエスノグラフィーの困難

科学コミュニケーションと映像に関しては、まだ何も自分は研究的な活動は始められていないなと思っている。
ある著名な広告・マーケティング分野の方が北海道大学アイヌ・先住民研究センター、石原真衣氏の「〈沈黙〉の自伝的民族誌(オートエスノグラフィー) サイレント・アイヌの痛みと救済の物語」を紹介していた。私はまだ読んではいないけど。
科学コミュニケーションにおいても実践内容を報告として学術誌に掲載するということがよくある。これは、オートエスノグラフィー(著者自身が個人的経験を調査する質的研究の一種)と言えなくもないだろう。しかし時に自分たちの活動を自己省察することは、客観的に論述していく科学的手法と相反する困難さが常につきまとっている。

大阪市中央公会堂(記事内容とは関係ありません)

誰か研究者が、ディレクターである私を調査してくれれば、いろいろ自分から引き出せるような気もするが、自分自身でそれをやるのは非常に難しい。科学コミュニケーションと映像などという分野をやっている人間は他にこれまでほぼ誰もいなかったが、今は少し仲間が増えつつある。私自身はそろそろ映像を作るだけでなく、調査する側としても、あまり好きな仕事ではないが実践者から経験や知識を引き出さないといけない。

とはいえ、ここ数年は映像を制作しながら、そのプロセスを客観視するように努めてきた。自分で編集しながらも、どのようなロジックで映像を選択し並べているのかといったことを観察しているつもりである。メディアで仕事をしていた頃とは違い、今は全行程をほぼ一人で短時間のうちにまとめないといけない。特に編集や台本制作は直感的にこなしている。だいたいは短い期間で作らないといけないので制作のプロセスはかなり省略する。

最近は正味3日くらいで集中して作ることが多い。素材が少ないことがよくあるので、若干、パズルを解くような作業でもある(3日で編集が終わるという意味ではない)。どのカットを使えば、見ている人の気持ちに訴えられるかという感情の部分と、ストーリーの整合性といった論理の部分の組み合わせで、直感的にストーリーや映像の順序を選び取っているようである。だが、このような自分の思考回路でさえ把握するのは難しい。
この直感は制作の仕事をする中で徐々に培われたもので、他のディレクターにもそれぞれの方法論があるだろう。それを個別に明らかにすることに正直それほど意味があるとも思えないのだが、何かその先に意味を見いだすことができるかもしれない。

2022/12/30

映像制作の組織内製化について

大学や研究機関の科学コミュニケーションにおいて、映像制作が活用される機会がますます増えてきた。私が大学に転職したのが2009年ごろだが、最近は隔世の感がある。
以前とある研究機関の方から、外部の映像プロダクションとの意思疎通がうまくいかず、組織として考えているような広報映像や学術映像を作ることができないと相談を受けた。

TV番組ぽくなってしまったり、ありがちな味気ない講習動画みたいになる、または研究内容のコアの部分を理解していないことを指摘しても、この方が一般の人には分かりやすいとか、映像制作の文脈ではこちらが正しいと押し切られてしまう感じらしかった。

札幌岳登山道より(記事内容とは関係ありません)

クライアントと制作側、どちらの方針が結果として正しいかは分からないが、少なくとも研究機関の意志を反映させるには、一定程度の内製化が重要ということになるだろう。とはいえ、全部、内製できるだけの能力や余裕があればそれでよいが、やはり外部の手を借りるほうが効率も質も上がる。

以前聞かれた時はうまく答えられなかったのだが、最近、様々な組織と一緒に制作するにあたって、比較的内製化しやすい部分とそうでない部分があるなと分かってきた。

1.内製化しやすい業務
・プロデューサー(内容・品質チェック)
・ディレクター(連絡・調整)
・静止画、動画素材の調達
・スチルカメラ(一眼レフ。インサートや広報写真用)
・ビデオカメラ(風景やインサートカットのみ)
・公開業務(告知用文章、サムネイル作成、アップロード等)

2.外部に依頼したほうが良い業務
・ディレクター(演出・構成)
・ビデオカメラ(インタビューや演出上必須の映像等)
・一眼レフによる動画撮影
・音声
・編集
・デザイン
・ナレーション制作
・MA・音響効果
・CG、解説図

3.協働する業務
・プロデューサー(コンセプトメイキング)
・テロップ内容
・ドローン撮影(これはケース・バイ・ケース)

この3つの役割分担は流動的に変化するので、自らの組織にとってどういう体制がよいかは相対的である。例えば、デザイナーが内部にいる場合もあるだろう。現時点では、このベストミックスが以前の相談への回答になるかもしれない。

また内製比率を高めたい場合は、2の業務に関して研修を行うことで、内部のスキルを高めていくことができる。ただ、一口にSD研修といっても、組織として目指すゴールや体制を設定できていないと、ぼんやりとした成果しか得られないかもしれない。

2022/8/28

2022 新年の抱負

今年で錦鯉の長谷川と同じく50歳になる。こないだ同窓会的な忘年会を札幌でやったが肩が痛い、近くが見えないなど情けない話題と、子供が大学に入っただ、受験だなんだ中年トークでひとしきり盛り上がる。

ここで今後の仕事に夢も希望も無いとなると、なかなか寂しいものがあるが、まだ若い学生と一緒に何かを作るような仕事でよかった。私自身の発想が枯れても、若い子たちからいくらでも出てくる。自分の仕事はそれをうまく着地させ最終的な成果物にもっていくことかな。

富良野スキー場にて

簡単にまとめると以下のような抱負になるだろうか。

  1. 付加価値の高いコンテンツをつくる
  2. 若い人の新しい発想を大事にする
  3. 才能をオーガナイズする

1は、具体的にいうと、私のように小規模な個人商店では普通に映像を作ってもまず見てもらえないので、何かしら表現方法に新規性をもたせることだ。今は学生の発案で、小規模なプロジェクションマッピングに取り組んでいるが、それもAfter Effectsを使えば誰でもできるレベルのものである。しかし、VRやARなど組み合わせによっては、注目してもらえるようなコンテンツが作れるかもしれない。昨年投稿した論文では「体験型映像」と名付けている。

2は、価値観が転換している今の時代においては、自分の感覚は当てにせず、若者の発想力に頼るということだ。もちろん彼ら彼女らは最後までやり切る経験やノウハウに欠けている。そこを補いながら、着地まで持っていってあげることが年長者の仕事である。ましてや教員なのでそれがメインだ。だから、突飛な発想であっても、無理だとは言わず、どうすれば最後までもっていけるかを考える。

3は、これまで個人で形にすることが多かったが、今後は才能をうまく組み合わせて相乗効果を出すことが今の立場では重要だ。なので、安い仕事を請けて一人でやり切るみたいなのはもう止めたい。自分でできないことといえば例えば、デザインや音楽、アニメーションなどだが、こうしたジャンルの優秀な人をどんどん組み合わせて大きい成果につなげたい。

学生に表面的な技術を指導するのはそれほど難しくない。本当に難しいのは、コンテンツそのものを作る、つまりきちんと企画・構成して意味のある作品に仕上げるということだ。普通に良質な映像作品を作ってもそれほど注目を浴びることはないのだが、本来はそうした「内容そのもの」をきっちり作るのが一番難しい。そういう意味ではテレビとかで鍛えられた人は強いなと思う。科学番組を作るのにあまり科学のバックグラウンドは必要ない。大事なのは経験によって鍛え上げられた感覚である。

2020年にはフリーのような状態になっていろいろな選択肢が自分の前に示された時があったのだが、昨年のように、専任教員を軸にたまに本務に役立つような形での動画作品を作るのが自分にとっては最適だった。事務系の専門職みたいな話もあったのだが、こちらは本当に向いてないとつくづく思った。しっかりした事務がバックにいると心強いが、私自身は仕事で少しでも非効率なところがあるとすぐ嫌になってしまう性分なので書類仕事は難しい。

というわけで、今年も引き続き昨年の路線で教育3+制作1くらいの割合でがんばっていきたい。

追伸:過去の年賀状を失くしてしまったのと住所録が文字化けしてしまっていたので、年賀状は来た方にだけ追々出していきます。すいません。

2022.1/2

MacBook Pro 2021での動画編集

MacBook Pro 2021(14インチ, M1 Max)で初めて映像(2021年ノーベル化学賞「不斉有機触媒の開発」の再現実験)を作ったので、細かい話が多いが、気づいたことをM1Pro,Maxでのプロダクションに興味ある方向けに書いておきたい。

タッチパネルは相変わらずの操作性の良さで、特にキーボードは軽くて打ちやすい。画面も有機ELなみにきれいである。また動画の書き出し時間も圧倒的に早いので、躊躇なく書き出して確認できる。
ただ、そこまで気になるほどではないものの、自分としてはメモリと容量を増やせばよかったというちょっとした後悔もある。
 

編集の様子
メモリ64GB、容量2TBくらいがよかったかも

今のように複数の4K編集プロジェクトを並行していると、1TBの容量では足りなかった。2TBにすると4万プラスになってしまうのでためらってしまったが、やはりひとつのプロジェクトの素材が200GB、After Effectsのキャッシュはすぐ100GBくらいはいってしまう。これがFinal Cut Proであればもっとキャッシュがすごいかもしれない。いったん編集が終わってもこれから修正やフォローの仕事もあるので、すぐには内蔵SSDからは消せないし。

あとM1MaxなんだからPremiereやAfter Effects、Photoshop、Chromeブラウザ等をばんばん同時操作しても問題ないかなと思ってたが、やはり早く同時に動かすとスタックすることもある。Premiereで4Kを何枚も重ねるくらいではどうもないかもしれないが、複数ソフトの連動は負荷がきついようだ。CPU,GPUはM1Maxだが、メモリは今の倍の64GBのほうがよかったかもしれない。

雑誌記事やYouTuberとかは時間もないので、割と単純な作業でベンチマークを計測する傾向がある。買ってしまった後で今更だが、複数ソフトを連動させる方は参考にしてほしい。
 

After EffectsとPremiereの連動の不具合

なぜかAfter Effectsを立ち上げていないと、PremiereのAEクリップが正常に読み込まれないことがあった。これで結構時間をロスしたが、なぜ読み込まないのか悩まないで、AEを操作していない時であっても全部同時に立ち上げておくと問題ない。もっともこのバグ?はいつの間にか治っていたが。
※ファイル名とコンポジション名を日本語にしていたことが問題だったかもしれない。これで問題はだいたい解消した(2021.12/14追記)
 

14インチは移動での仕事に便利

今回は移動しながら、大学や車の中、カフェみたいなところなどいろんな場所で作業したので、やっぱり14インチは軽くて持ち運びやすい。今回のM1Pro、Maxは14と16でほぼ性能差はないので、デスク環境ではどのみち外部モニタがあるし、移動多めの人は14で間違いないと思う。

Liquid Retina XDRディスプレイが高輝度で美しいので見やすい。私はBetter Touch Toolのショートカットで輝度をタップですぐ調節できるようにしているが、ここぞというところで輝度を上げてすぐに確認できるようにするのがお勧め。
 

充電器はほぼ持ち歩かなくてよい

すごくバッテリーがもつので、充電器を持ち運ぶ必要がなくなり、身軽で良い。自分の場合は、職場と自宅、単身先の自宅にぜんぶ充電器を置いている。Amazonで見つけたHypprの100W 急速充電器 GaN がセールで2600円くらいだったのでかなりお得だった。

あと、80%くらいでバッテリーを最適化してくれて助かるが、手動でフル充電にしておかないとうっかり80%のまま持ち運ぶことになってしまうので、移動する前にフル充電を忘れずに。

SDカードスロットやHDMI端子などが復活して、USBハブみたいなのを持ち歩かなくてよくなってMacの携帯性が上がった。
 

AirPods Proのノイズキャンセリングが便利

Mac本体とは関係ないが、AirPods2を落としてしまったのでだいぶ前にProにした。ノイズキャンセリングが優秀なので、移動しながらの編集が非常にやりやすい。空港などでは重要なアナウンスも聞き逃してしまうおそれもあるが、集中して作業したいときに必須。
 

Mac以外のこと

今回は自分で撮影・音声、デザイン、編集とやったので、イメージ通りに作れたのは良かった。何でも一人の難点は、他から刺激や気付きがないので技術が進歩しないことだが、今期は前半がインプットの時間だったので、まあまあその成果は出せたかもしれない。

最近は、現場で少しディレクターもやるものの、それ以外の取材や連絡は若手に任せることも多い。映像制作そのもの以外の仕事もかなり多いので、少し役割分担するだけでぐっと楽になる。
プロの現場だと1人のディレクターに全て任せることがあるが、適切に分担したほうが早くて正確な仕事になると思う。たまにプロデューサー的な人が3人、メインD1人みたいに、P的役割が多い時があり、チェックに制作コストをかけすぎかなと思う。同じ4人で作るならP1人、メインD1人、サブD2人にしたほうがずっと仕事に余裕ができ、質も上がるだろう。

大学で作る場合はチェックは事務方が行うので、そもそもメインP的な人はいないし、グーグルドキュメントでテロップやコメントを共有しながら共同編集していくので作業も早い。DXでさらにスピードと生産性が求められる中で、各現場で今後はどんどん機動的な体制に変わっていくだろう。

2021/12/12

ハイブリッド配信のニーズが増える

ワクチン接種率が上がり少しずつ日常を取り戻してきたという状況を反映して、今後、リアル会場とオンライン配信をつなぐハイブリッド配信のニーズが増えてくると思われる。
昨年度、所属部署で購入機会を逸したBlackmagicdesignの「ATEM mini Pro」と、ZOOM(オーディオ機器メーカーのほう)の「PodTrak P4」を使って9/25にYouTubeでLIVE配信を行った。北海道大学ホームカミングデー文系4部局合同企画シンポジウム公開講座「コロナ禍を考える」の配信で、司会が2名、登壇者は4名、無観客という状況である。

ATEM mini ProもPodtrack P4も4系統の入力端子がある。ATEMには2カメ+講師PC、事務局PCの4つを入力した。音に関しては、大学の場合はすでに音響設備が教室ごとに整備されているケースが多いため、そのまま教室のマイクやスピーカーを使ってSUB OUTからP4にミックスされた音をもらうか、直接、ATEMに流すのが良いだろう。
ただATEMだとひと目でわかりやすい音量調節つまみがないのと、どうもMic入力しかないようなので、やはりここはいったんデジタルオーディオミキサーを入れたほうがノイズも少ないし操作もしやすい。今回はSUB OUTからRCAケーブル−ミニプラグ変換でPodtrack P4の3ch(スマホから入力可能な端子)に入れた。Podtrack P4の場合、SounPadというボタン一発で登録済み音源を出せる機能もあるので、BGMも流しやすい。

配信の様子

ATEM mini Proを操作するATEM Software Controlから直接配信など様々なことができるようだが、今回は慣れたOBSを使った。テロップや看板はPowerPointで職員の方に作ってもらってOBSから出すことにした。原始的ではあるが、最もかんたんな方法である。
文学部の事務局と実施したのだが、担当された職員の方は結構、マスターできたと思うので、今後、何度か経験を積めば2人体制くらいでできるようになるのではないか。今後は私自身も Software Controlとイーサネットケーブルで旗艦PCとつないだ直接配信を試してみたいと思う。

少し秋めいてきた北大キャンパス

今回、コロナ禍の状況に対して、北大教員が文系の視点で本音で語るというイベントで、内容も十分面白かったので、もっと広く見てもらえればと思った。
LIVE配信自体の垣根はだいぶ下がってきたが、どんなイベントでも同じで、集客やマーケティングは課題である。今回の場合、事前打ち合わせで先生方に自由にディスカッションしてもらって、なんか面白そうだなと思わせるような予告動画を作って、それをTwitterやFacebookなど各種SNSで流すのも有効かなと思った。話題作りがないと、北大の研究に何となく興味はあっても、いきなりポンと本番には入ってきにくいかもしれない。とはいえ、予告編だけ徹底討論風で、本番になると淡々と進んでしまう可能性もあって難しいが。
これは大阪で年明けに企画されている私の市民講座でも同様で、職員の方に広報をおまかせしてしまっているが、やはり集客に苦労されているようだ。いずれにせよ、これは面白そうだな、見てみたいと思わせるショートムービーみたいなものも今後は考えていきたい。

2021/9/26

2020 社会の構造が変わった年

今年は組織から離れ、個人で仕事をした年だった。外側から見ると、新型コロナウイルス感染症対応では、これまで日本の組織が抱えていた以下のような問題点が浮き彫りになったように思えた。

  1. 古いやり方がなかなか変えられない
  2. 評価や価値判断ができない
  3. 組織の力を結集できない

だが変わる能力のある組織は変化し始めた。例えば、印鑑廃止というのはそれに伴う業務プロセスすべてに影響するので、これまでのように何となく仕事を末端に押し付けていてはことは動かない。トップの決断が必要となるし、責任を負う覚悟も必要だが、印鑑廃止を始めた組織も多い。ものごとの価値を判断・評価できないという日本の宿痾において、印鑑と年功序列は何かつながっている要素のようにも思える。行き着いた究極形が、IT担当相がはんこ議連の会長という、、台湾の天才IT大臣と比べると壮大なブラックジョークの現実化である。
DXという言葉が流行っているが、デジタル化が本質ではない。アナログの方が効率の良い場面はあるわけで、教育も何でもオンラインやデジタルでやればよいというものでもない。トップがリスクをとって、一つ一つの結果を適切に評価しその都度、判断できるかどうかが重要だ。

DXでフリーランスの時代が来るようにも言われているが、逆にこれからはデジタルツールや普遍的な能力を獲得している人材を内部で育てていかないと、組織の成長もおぼつかない。
既得権益が有効で、組織が揺るがない時代は、外注の管理業務だけ任せられる無難な人材でもよかった。しかし、デジタル化は本質的な変化である。

2020年は本当に節目の年だった。私は来年度は組織にふたたび属する予定で、今度は自分が試されることになる。今までは権限がないので気が楽でもあったし、責任をとる必要もないので甘えたところもあった。
メディアの世界も激変した。個人の能力で生きていけるタレントたちがどんどん組織を飛び出し、新たな動きを生み出している。新聞にもテレビにも書籍の世界にもデジタル化による不可逆的な変化が進んでいる。

個人的には今年の仕事では登山VRが印象に残っている。新境地を開いたというほどではないが、これまで自分が好きでやってきたことがつながったような気がする。まだ進行中なので詳しくは言えないが、北大での仕事もだいたいやり終えた感じはする。それぞれに大きな組織に所属する優秀な若者とともに仕事をしてその成長を実感するという、指導者として幸運に恵まれたことが最大の収穫だった。無難に受発注業務だけこなすような人材ではなく、今後もプロフェッショナルとして創造的な仕事をしていくと期待する。
私はオールドメディア出身ではあるが、もう新聞とかテレビといった旧来の媒体の枠組みで語る時代でもなくなった。来年からは、新しい変化を起こすことに焦点を当てて仕事をしていきたい。

2020/12/30