一人だとテキパキ 〜雪彦(せっぴこ)山〜

図書館に行って調べ物をしてるときに、紅葉もそろそろ終わりだなと思い立ち、先週土日は地元姫路に帰って雪彦山登山とたつの市の室津(むろつ)港で釣りをしてきた。牡蠣シーズンということもあってか、相変わらず御津(みつ)の道の駅は大人気で満車だった。実家からすぐなので、できたばかりのときに行ったのは懐かしい思い出だ。
ちなみにこの記事は初めて新しいMacBook Proを使って書いた。Photoshopも試してみたので、多めに写真が入っている。

久しぶりの御津町(みつちょう)に着いたらコスモスがきれいだった
道の駅 みつ
室津で釣り

室津での釣りは中2以来であるが、昔は港ではなくもっと崖を降りて岩礁でキスやベラなどを釣っていたような気がする。今回はグレの子供とカサゴが数匹。カサゴは飲んでしまうので、針外す時苦痛を与えてしまった。今度はピンセットを忘れずに持っていこう(車に忘れた)。その後は少し飲みにくい百均のジグヘッドを使ったのですぐ外れるようになった。しばらく観察しようとバケツに入れておいたが、まだ小さかったので逃した。

それほど来てはいないが、何かなつかしい室津港
調理するのも大変だし小さいのばかりで逃した

室津の町並みの中に入っていった記憶はあまりなく、狭い石畳をはさんで趣のある古い民家が並ぶ。司馬遼太郎もこの街に泊まり、「街道を行く」に記している。落ち着いて風情のある町並みでタイムスリップ感がすごい。

これは料亭だが この先は古い町並みが伸びている

龍野市はすぐとなり街だ。小学生の頃に醤油工場に見学にいったくらいで、童謡「赤とんぼ」で知られる三木露風ゆかりの名所や、歴史のある社寺、アトリエやカフェなど見どころも多いが、近すぎてあまり観光地として認識していなかった。夕方になるとたつの方面から流れてくる赤とんぼを聞いて遊びをやめて夕暮れのなか家に帰ると、温かい夕食の匂いと声に包まれるという心象風景がある。

雪彦山登山
紅葉がきれいだった

朝早く起きて夢前(ゆめさき)川上流にある雪彦山に向かう。道に迷ったり色々トラブルがあり少し遅れて9時頃、登山開始。歩き始めはヤブツバキやアラカシなどの常緑樹に、クリやモミジが交じるような少し薄暗い森だが、すぐに紅葉がきれいな明るい森になる。

登山口は車でいっぱい
思ったより岩山 クライマーのかけ声が響く

ただ、思っていたより岩山で、ロッククライミングの人たちも多く、「ビレイ解除!」といった掛け声が響く。よく分からずに上級者コースに入っていったら、びっくりするほど鎖場やハシゴが多くて、道もややこしく、遭難者が多いのもうなずける。実家の近くにこんな岩山があるとは知らなかった。

PhotoshopのAI機能で登山者を消してみる(笑)面白いので元画像も右上に残したが、人がいたとこに変な鎖が描かれてしまってる

下山口から降りたところに、洒落た店(時のレストラン「野」)があったが、汗びっしょりで入れそうな雰囲気ではなかったのでスルー。意外とキャンプ場やコテージなどいろいろある。夢前川上流には小魚もいた。
やけに敷地が広く眺めの良い雪彦温泉でゆっくり汗を流した。駐車場に行くまでのモミジの連続した植栽がとてもきれいだった。ちなみに江口のりこも夢前町出身である。

敷地が紅葉できれいな雪彦温泉

帰りは出身高校の近くを通って、ロードアイランドカフェというアメリカ・ロードアイランド州をイメージした内装のカフェで柔らかな酸味のスペシャルティコーヒーで一息。

ロードアイランドカフェ。アイスはおまけしてくれた

ふだん家族と暮らしていると結構だらだらしてしまうのだが、一人だと無駄口を叩く相手もいないため、すごく予定通りに忙しくてきぱき動いてしまうところがある。渋滞に巻き込まれないよう20時過ぎまで実家で掃除などして過ごし、SUBARUステラで帰った。

ちなみに今回も駐禁シールはられたり竿先折ってしまったりとトラブル続きだった。幸い、駐禁は免れたようだが。
新しい充電器がAppleから送られてきて、Macbook proのバッテリーのエラーが起きることもなくなり快適になった。最適化も正常に機能しているようで、充電が時々保留されたりしている。

2021/11/25

Macbook Pro とともに進化していきたい

Macbook Pro 14インチを開封してセットアップしてみた。まだ4日目くらいなので本格的に動画編集はしていないが、After Effectsで教材制作したり、iMacのPremiere Proでいま作っている動画をこっちに移行した。動作は俊敏で本当に気持ち良い。
M1 Max、10コアCPU、32コアGPUメモリとフルパワーにしたのだが、さすがに40万超えは厳しいなと思い、SSDとメモリは妥協して1TB、32GBで抑えた。

14インチは軽くて運びやすい

昨年11月にM1が出た時は我慢したのだが、その後、映像制作の仕事やオンライン授業での動画制作がかなり多かったこともあり、Mac Miniでいいから買っておけばと本当に後悔したものである。しかし、さすがに昨年買ってたら続けざまにM1 Maxを買うことはなかっただろうから、この喜びは体験できなかったと思えば、直近の過去はきれいに忘れ今は大いに満足している。

学生時代の友達がcolor classicを使っていたり、 筑波大学理科系修士棟のコンピュータルームがMacだったため、かれこれ30年近い付き合いだが、今回のMacbook Proは、(現時点で)歴史に残る究極のノートPCになったのではないか。以前のMacたちは見送って本当に良かったと思っている(笑)。
構成によっては軽く200万超えの、そして今思えば最後のIntel MacProが出たときは、まさかその2年後にこんなラスボスが控えているとは夢にも思わなかった人が多いだろう。昨年のSoCという新しいアーキテクチャによるM1 Macシリーズもかなりの衝撃だったとはいえ、すぐ次の年にさらに究極形へと進化した。

裏面にMacBook Proの刻印が入った箱型のスタイル。ちょっと懐かしい感じで良い

あんまり使ってなかったBetterTouchToolを本格的にカスタマイズしてますます気持ちよく感覚的にタッチパッドやMagic Mouseで操作できるようにしている。指で自在に操れるように成長していくのがとても良い感じである。

だが、自分は4K編集と、ちょっとAfter Effectsを使うくらいで、現時点ではこのマシンの潜在能力を活かしきれないかもしれない。なので、久しぶりにFinal Cut Pro とMotionにも回帰しようかと思う。またコンピュータの進化にあわせて、3DのCG制作やプロジェクション・マッピングなども自在に作れるよう自分も進化させていきたい。そう思わせてくれるのが、Macの良いところであり、職人にとって道具は命なのである。まあ、Windowsもよく使うし決して嫌いではないが。

特にTVを辞めて以降は、Appleの進化と伴走するようなキャリアでもあった。そこは意識的にそうしていた面もある。新聞記者を辞めて映像、そして教育にジョブチェンジしてきたわけだが、テクノロジーの進化と自分のキャリアの目指す方向が一致していたのは職業人生的には幸福だったといえる。

全然関係ないが、北大医学部前のユリノキがきれいだった

それにしても、気になるのは、MagSafe3が時々、オフになって充電されない時があることだ。サポートと電話したが、M1でできなくなったはずのSMCリセットを提案されたのでこりゃだめだと思った。他にも同様の症状が集まっていて何か有用な情報が得られるかと期待したのだが。MagSafeや様々な端子やファンクションキー(Touch Barは実はよく知らないのだけど)が戻ってきたのは本当にありがたいが、MagSafeは以前からこういうトラブルが多いので要注意である。

追記:その後、Appleから経過調査の連絡がきた。結構気にしているようだ。バッテリーの最適化のオンオフで試してほしいと言われた。ネットではMagSafe3は磁力が強すぎるという話も聞いたが、確かに少し強めではある。別にだからどうってのもないけど。いずれにせよ、新製品なので、Appleも注視しているといったところか。

2021/11/11

大峰奥駈道登山

昔、大学時代にワンゲルの同期が大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の縦走に行っていて、いつか関西に戻ったら行こうと思っていた。1300年ほど前の奈良時代から歴史のある吉野と熊野を結ぶこの修験道は、いまや世界遺産(『紀伊山地の霊場と参詣道』2004年登録)にもなっている。

上りが結構きついコースだった(行者還トンネル西口コース)

しかしどうも効率ばかり重視してしまいがちな性格の私は、近畿最高峰の八経ヶ岳(はっきょうがたけ)だけさくっと往復してきた。学生時代のように無駄に長い日程でときには10日ものんびり山中を縦走するとかもうできない。

学生の頃は特に深く考えることもなく、体力、時間、集中力をすべてワンゲル活動に全振りしてしまっていたが、貴重な経験だったなと今にして思う。今はちょっと前ほど忙しくはないものの、さすがに足元もふらついてて、学生時代のように飛ぶように下山するとかも無理。

大峰奥駈道 八経ヶ岳山頂より 立ち枯れているシラビソ林(たぶん)
山頂の看板と錫杖(左)

帰りは天川村で天の川温泉という今風のデザインの温泉でのんびり汗を流し、高速道路をぶっ飛ばして帰ったわけだが、レンタカーを返すまでに時間があったので、その短時間を有効に使うために、帰るやいなやなぜかすじ肉を煮込んで、カレーの準備をして、洗濯機を回してから、レンタカーに戻ると、わずか10〜15分程度ハザードをつけていただけでセルモーターが回らなくなってしまっていて、返却時間に間に合わないという失態を犯す。

天川村 天の川温泉

これはさすがにJAFの人とも整備不良ですよね、と話したものの、もうちょっと余裕をもって行動しないといけないなと反省した。その後、早まって航空券を間違って買ってしまうという失敗もおかしてしまったし、我ながらもはやいい年してるんだから落ち着けよといいたい。いくらお金をむだにしてるんだと。

2021/10/26

原生林をぶらぶら

用事があって姫路の実家に戻っていたので、車で1時間半ほどの岡山県西粟倉村に行ってみた。牧大介さんの「ローカルベンチャー」という本を読んで面白そうだなと思ったからだ。

岡山県西粟倉村
アマゴも泳いでいた 今度は釣りにいきたい

緊急事態宣言開けということもあって道の駅や温泉などは賑わっていたが、北部にある若杉原生林という森は人けもなくひっそりしていた。ハイカーが2人いたが入れ替わりで下山していった。

美しい人工林の奥に原生林がある(駐車場から人工林側を見てる)
美しいスギ林の奥にある若杉原生林

特に何の目的もなく峠まで歩いていたのだが、他に誰もいなくてすごく気持ちよかった。意外と一人で原生林をぶらぶらすることは少なかったかもしれない。だが、何か大きな動物が少し遠くでバサバサ茂みから出てきたのは怖かった(カモシカ?)。

きびだんごやぶどう、米を買い、ひとりで天気の良い原生林を歩いて温泉でのんびりする。なかなか素晴らしい休日だ。これから姫路の実家を掃除しに帰りがてら、近くにある良い感じの村をぶらぶらするのが趣味になりそうだ。時間もないので、釣りなのかハイキングなのか目的をはっきりしたほうがいいかもしれない。

岡山といえばぶどうだが、私が子供の頃よりずっと甘く、皮も薄い。最近は大きいのに種もなく食べやすくなった

2021/10/10

ハイブリッド配信のニーズが増える

ワクチン接種率が上がり少しずつ日常を取り戻してきたという状況を反映して、今後、リアル会場とオンライン配信をつなぐハイブリッド配信のニーズが増えてくると思われる。
昨年度、所属部署で購入機会を逸したBlackmagicdesignの「ATEM mini Pro」と、ZOOM(オーディオ機器メーカーのほう)の「PodTrak P4」を使って9/25にYouTubeでLIVE配信を行った。北海道大学ホームカミングデー文系4部局合同企画シンポジウム公開講座「コロナ禍を考える」の配信で、司会が2名、登壇者は4名、無観客という状況である。

ATEM mini ProもPodtrack P4も4系統の入力端子がある。ATEMには2カメ+講師PC、事務局PCの4つを入力した。音に関しては、大学の場合はすでに音響設備が教室ごとに整備されているケースが多いため、そのまま教室のマイクやスピーカーを使ってSUB OUTからP4にミックスされた音をもらうか、直接、ATEMに流すのが良いだろう。
ただATEMだとひと目でわかりやすい音量調節つまみがないのと、どうもMic入力しかないようなので、やはりここはいったんデジタルオーディオミキサーを入れたほうがノイズも少ないし操作もしやすい。今回はSUB OUTからRCAケーブル−ミニプラグ変換でPodtrack P4の3ch(スマホから入力可能な端子)に入れた。Podtrack P4の場合、SounPadというボタン一発で登録済み音源を出せる機能もあるので、BGMも流しやすい。

配信の様子

ATEM mini Proを操作するATEM Software Controlから直接配信など様々なことができるようだが、今回は慣れたOBSを使った。テロップや看板はPowerPointで職員の方に作ってもらってOBSから出すことにした。原始的ではあるが、最もかんたんな方法である。
文学部の事務局と実施したのだが、担当された職員の方は結構、マスターできたと思うので、今後、何度か経験を積めば2人体制くらいでできるようになるのではないか。今後は私自身も Software Controlとイーサネットケーブルで旗艦PCとつないだ直接配信を試してみたいと思う。

少し秋めいてきた北大キャンパス

今回、コロナ禍の状況に対して、北大教員が文系の視点で本音で語るというイベントで、内容も十分面白かったので、もっと広く見てもらえればと思った。
LIVE配信自体の垣根はだいぶ下がってきたが、どんなイベントでも同じで、集客やマーケティングは課題である。今回の場合、事前打ち合わせで先生方に自由にディスカッションしてもらって、なんか面白そうだなと思わせるような予告動画を作って、それをTwitterやFacebookなど各種SNSで流すのも有効かなと思った。話題作りがないと、北大の研究に何となく興味はあっても、いきなりポンと本番には入ってきにくいかもしれない。とはいえ、予告編だけ徹底討論風で、本番になると淡々と進んでしまう可能性もあって難しいが。
これは大阪で年明けに企画されている私の市民講座でも同様で、職員の方に広報をおまかせしてしまっているが、やはり集客に苦労されているようだ。いずれにせよ、これは面白そうだな、見てみたいと思わせるショートムービーみたいなものも今後は考えていきたい。

2021/9/26

海をきれいにするな?

岡山県倉敷市、瀬戸内海の海でノリの不作が続き、コンビニでもノリを使わないおにぎりが4割に増えてきているという。確かに最近、ノリって意外と高いなと思っていた。
瀬戸内海は高度成長期に赤潮によって瀕死の海といわれたが、行政や企業が排水の水質改善に取り組み、瀬戸内海では窒素の量は1/3まで減少したという。その結果、窒素やリンといった海中の栄養塩が減ったことがノリの色落ちを招いた。他にも魚や貝もプランクトンなどの餌が育たないため減少した。海がきれいになったのは喜ばしいが、漁業者にとっては複雑で、古くから漁をしてきた男性は「海が泣きよる」と話していた。

NHK地域局発@okayama▽きれいな海から豊かな海へ転換期迎えた瀬戸内海 
20210年5月18日午前10:15-10:40 ©NHK

北大を卒業しNHK岡山局でディレクターをしているSHさんが制作チームの一員だったということで連絡をいただいたのだが、私が筑波大学の自然保護寄附講座でやっている科学コミュニケーションの授業にも関連していたので興味深く拝見した。まだぎりぎりNHK+で見られるのでぜひ上の画像のリンクから見てほしい。
 

排水をあえてきれいにしない

いまは岡山県の児島湾につながる下水処理施設で、排出される窒素の量を基準の範囲内で増やしているそうだ。これまで家庭などからの排水はバクテリアの働きで窒素を取り除いていたが、その働きを弱め、90年代の水準まで窒素の量を増やし、ノリの色落ちを防ぐことができるか調べる。もちろん、窒素だけが色落ちの原因ではない可能性もある。また季節ごとの管理によって赤潮になる心配はない

しかし同じ行政でも環境管理課や観光に携わる人からは、きれいな海が汚れてしまうのではないかと心配する声が上がる。シーカヤックのガイドの方はツアー客が最も感動するのは透明な瀬戸内海であり、観光への影響を懸念する。私もこの方がガイドをしている牛窓に家族みんなで旅行に行ったことがあり、今でも良い思い出になっている。
 

どんな自然を理想とするかは人によって違う

これは自然環境保全を巡る価値判断の問題であり、どんな自然環境が望ましいのかが人によって違うため共通の理想像を作りにくいことを示している。かつて2005年に私が六甲山でさわやか自然百景をディレクターとして制作したとき、可愛らしいという視点だけでイノシシやうり坊を紹介するのはいかがなものかと感じ、そこからずっと気になっていたことでもあった。

科学技術社会論で「専門家だけで決められない価値判断を含む科学技術の問題」のことを「トランス・サイエンス問題」という(詳しく知りたい方は大阪大学の小林傳司先生のこの論文などを参照)。原子力や生殖医療などがその典型だが、時代が変化することで環境保全や自然保護もトランス・サイエンス問題の一つになったといえる。
どのような状態が最も最適な自然環境なのか、過去のいつ頃の自然を目指すべきなのかは専門家だけで決定できず、地域住民や関係業界団体、行政、NPOといった利害関係者で合意をまとめる必要がある。

例えば、生物多様性と水質環境のというのはどちらも高い・きれいというのが望ましいわけだが、「水清ければ魚棲まず」と言われるように、この要素は相反することがある。もちろん高度成長期のように徹底的に汚染されている場合は水質の改善がそのまま生物多様性の向上につながるわけで、私が学生の頃は自然保護にそれほど複雑なニュアンスはなかった。つまり破壊されてしまった、あるいは破壊が進行中の自然をとにかく守り復元していく方向性が明確だったわけだが、1990年代頃から自然環境が少しずつ改善され、例えば瀬戸内海では水質を上げることで水中の窒素やリンが不足し、生物にとっては住みにくい環境になってしまった。

原生林が素晴らしいことは自明であるかのように言われることがあるが、実際の原生林は湿度が高く、虫も多く、必ずしも誰もにとって快適とは言えない。中央アフリカの熱帯林にしばらく滞在してニシローランドゴリラやチンパンジーを撮影したことがあるが、ツェツェバエやハリナシバチ、アフリカミツバチなどに付きまとわれ、必ずしもいつでも気持ちよいわけではない。
もちろんこういう環境が大好きな研究者や保全活動家の方々もいるが、一般的な感覚とは言い難い。つまり、絶対的に減っている原生林を増やそうという合意はとれても、それが自らの生活空間に及ぶと、そうも言い切れなくなってくる。
  

異なる立場の人々が対話する

このように立場によって意見が異なる問題の合意を作るのは難しい。番組はこうした科学コミュニケーションの問題まで切り込んでいた。広島大学の松田治先生によれば、これから目指すべき理想状態というのは実際は社会条件、その時々の自然環境によって変化するため、いつ頃の自然に戻すべきかという発想ではなく、関係する人々で地域の実情に応じてどんな海が良いのかを考えることが大事だという。

こうした里山、里海づくりには、自然科学の専門家だけでなく、NPOやコミュニケーションや合意形成のプロも入って様々な立場の人の異なる意見や取り組みを集約し、地域ごとに合意を作っていくことが大事である。こうした問題にまず取り組むのは地域の自治体だと思うが、早い段階でこうしたNPOやプロを入れて意見を集約していくのが望ましいと思う。今回のNHK岡山局の番組はこうした地域の取り組みの事例として参考になる。

2021/5/22

NHKスペシャル「被ばくの森 2021」

以前お世話になった苅田ディレクターと中井プロデューサーが担当していたので、じっくりと2回ほど見た。
不謹慎だがと断って研究者が述べていたように、福島第一原発事故から10年たって低線量被曝が野生生物、ひいては人間に対してどのような影響があるのか、期せずして壮大な実験圃場となっているのは間違いない。私も正直なところ被曝がどのような生理学的な変化をもたらすのか興味がある。
番組では、原発事故に翻弄されながらも調査に協力する被災者らの人間的な側面もあわせて描いている。まだNHK+で見られるのでぜひ見てほしい。

NHKスペシャル「被曝(ばく)の森2021 変わりゆく大地」2021.5/9(日) ©NHK
野生動物に占拠されてしまった帰還困難区域

野生動物が街中を闊歩し無人の家を荒らす映像によって、自然が秘めたたくましい生命力を見せつける。被災者には悪夢のような光景だが、ドローンによる無人の帰還困難区域を映した映像が美しく印象的だった。空撮による移動ショットの中で、時間経過をフェードで表現するなど凝った映像も多かった。
またキツネとイノシシが接触しそうになる映像もあった。基本的に別種の中型哺乳類が、野生の環境で遭遇するのを見かけることは極めて稀であり、野生動物の密度が高まっていることを象徴するシーンである。
もちろん注目すべきは映像のすごさだけではなく、福島第一原発事故から10年経過しての放射能被爆の生物への影響評価をコンパクトにまとめてくれていることである。以下にまとめる。
 

不気味な変形を見せる針葉樹

原発事故の後2〜3年の間に芽吹いたアカマツに限って枝分かれが非常に多い異変があったことが、福島大学のヴァシル・ヨシェンコ先生らによって確認された。なぜか幹が発達しない。マツの他3種類にも事故直後に異変が見られた。帰還困難区域のアカマツはオーキシンの濃度が低くなることが原因と考えられている。
放射能による汚染は目に見えず被害が分かりにくいのが特徴だったはずだが、目に見えて形に異常をきたしていることが分かるのは非常にインパクトが大きいといえる。
 

山にいなかったはずのクマが出現

東京農業大学の山崎晃司先生らの調査で、浪江町のセンサーカメラに、阿武隈山地周辺では生息しないと考えられていたツキノワグマがこの3年で3回、捉えられた。2020年7月、飯舘村の林道でツキノワグマの親子に遭遇した地元の人の映像で、このエリアではじめて子育てが確認された。繁殖の中心になる集団が阿武隈山地に定着している可能性が高く、増えて分布域を広げるのは確実だという。ツキノワグマは10年で5倍に増える繁殖力をもっていて、今後も人里を脅かしかねない。
ちなみに阿武隈山地のセンサーカメラで高標高地に外来種のアライグマが見つかっていることも分かった。コロナ禍で少し人が外に出なくなると、すぐに動物たちが進出してくるのは世界共通の現象であり、昨年は北大でも久しぶりにエゾシカがキャンパスに入り込んだ。キタキツネも街なかに姿を見せるようになってきている。
 

初期被爆のサルに癌化などの兆候は現時点では見られず

東北大学の福本学先生のニホンザルの初期被爆に関する調査。サルの寿命はおよそ20年なので10年経過したサルの体内で起きる変化は人への影響を推測しやすい。
2021年2月有害駆除されたニホンザル648匹目の解剖の様子も紹介されていた。空気や餌から大量の放射性物質を取り込んでいた。甲状腺には放射性ヨウ素131が集積し、癌の原因となるが、半減期が8日と短いためヨウ素131はすぐ消えてしまう。そこで半減期の長いヨウ素129に目をつけた。原発事故で22(ヨウ素131)対1(ヨウ素129)の割合で発生したと推測されている。
ヨウ素129を使って、初期の被曝量を7匹で推定したところ、汚染された餌によって1000ミリシーベルトに達した高い被爆をしていたと思われる3匹がいた。しかし、甲状腺の細胞組織を精密に分析したが、今のところ癌は見つかっていない。
 

サルの染色体に異変見つかるも回復傾向

弘前大学の三浦富智先生は、サルの染色体に異変を見つけた。2つの色が混じり合ってるように見える。切断された2本の染色体が入れ替わって再結合した「転座」と呼ばれる異常で遺伝子を変異させることがあるという。染色体で遺伝子の変異が蓄積し続けると、細胞が癌化するリスクがあり、非汚染地域に比べ2.5倍の頻度であった。
だが、その発生頻度は最近になるほど減少していて、回復しつつある。これもまた野生動物のもつ生命力というものなのかもしれない。
 

被爆したイノシシも環境に適応しつつある?

宮城大学の森本素子先生はイノシシの免疫への影響を調べている。旧避難指示区域のイノシシは汚染されていない兵庫県のイノシシと比べ、免疫を強化するサイトカインという物質の関連遺伝子が10倍活発になっていた。
慢性的な低線量被爆を繰り返すイノシシの体内では、小腸の内側の無数の免疫細胞には放射線によるストレスが常にかかる。遺伝子は免疫活動を強化するためにサイトカインを作る司令を出す。
サイトカインが暴走するとかえって体にとってはリスクとなるが、イノシシの小腸では現時点では目に見えるような変化は起きていない。放射線の影響は受けているが、生理学的な範囲では対応できているという状況だという。これもまた生物の適応力なのだろうか。
 

ネズミの精原細胞が増えている

新潟大学の山城秀昭先生によると、被曝量が多いアカネズミほど精原細胞が増えていることが分かった。よく見ると精原細胞は二層になっていて、被曝量が少ないネズミより数が多い。低線量の刺激で何らかの増殖機能が働き増えたようで、種を保つための反応といった生命現象の一つだと思われる。だが最終的にできた精子の数と受精能力は被曝量に関わらず、変わらなかったそうだ。
 

被ばくの森の今後

東京農業大学の上原巌先生は、事故直後から汚染された森林の再生について研究してきた。注目しているのは新たに芽吹いた樹木。日陰に強い樹木が生えてきていて、セシウムはほとんど含まれていないことが分かった。セシウムは土壌に強く吸着され、根からの吸収が抑えられているのかもしれないとのこと。一時は絶望視されたが、被爆の森における一つの希望として紹介されていた。
 

故郷を奪われながらも調査に協力する被災者たち

住む家や土地を汚され、仕事も奪われた被災者らの絶望は、お金で解決できるものではない。せめて科学的な調査には協力しようと尽力してくれている姿には本当に頭が下がる。
人生を賭けて森を育てきた林業家や、被爆した牛を見捨てずに世話してきた酪農家。もう出荷できない放射能に汚染された牛だが安楽死させるのはかわいそうだと、研究のサンプルに提供することもあるという。
原発事故後、駆除されたイノシシは6万頭に達した。イノシシによる被害は大きいが、檻の中にいる小さな子どもを殺す時は本当に涙が止まらなかったという猟師の言葉は重い。動物たちもまた被害者だ。

研究者は「汚染地の状況は50年、100年先を見越してどういうふうに向き合っていくかが必要だ」と語っていた。放射性廃棄物は処理に何万年もかかり、こうした科学者らによる継続的な研究が生かされる日がくるのかもしれない。

2021.5/11

札幌から大阪へ 

なぜか家の近所の公園に樺太犬の慰霊碑があった

この4月から住み慣れた札幌を離れ、大阪の堺市にある大学で働く。新卒で就職した新聞社も最初は大阪だったので感慨深い。やはり人口密度が高くてにぎやかだ。コロナも活発だ(笑)。

札幌と全然違うけど、正反対の文化圏で暮らすのは楽しいし、元は関西人なので、近所にたこ焼き屋があって、見知らぬおじさんやおばさんと軽口を叩けるようなこの空気がやはり好きだ。

私立大学の教授ということで全く別世界に来たような印象である。そもそも前の職場が特殊過ぎたので、事務の方々がしっかりしているこのような職場の方が一般的だろうと思う。誤解のないよう言っておくと、北大全体ではもちろん事務はちゃんとしている。教員が応募や選抜、教務、修了式といった事務的なことをこなさないといけない特殊な部署だったということである。しかしそのおかげでWebやLMSサイト制作・運営といったスキルも身についた。

用事があって、前に住んでいた川崎のあたりを通って東京に行った。なつかしかったが、このあたりには長く仕事や生活をして、いろいろな思い出が染み付いている。また東京方面に戻ろうとは思えなかった。姫路出身だが、家の出自は大阪だし、父も同い年で堺に単身赴任したこともあって、心機一転でここ大阪の堺から再スタートは自分にとっては良かった。

というわけで、コロナが落ち着いたら、関西の友達に会いに行きたい。あと筑波大学の指導教官も昨年度で退官されたので、ワクチンなど万全を期してお会いしたいと考えている。

2021/4/4

デザインの重要性

今回の研究紹介映像はデザイナーの方に入っていただいて作った。予算的にも時間的にも余裕がないとできないので、良い機会となった。ただ全体構成にも影響するので、早めにデザイナーの方に入ってもらったほうがよいかもしれない。
単にテロップやCGをスタイリッシュにする、親しみやすくするといった機能にとどまらず、映像全体の構成、何なら取材の方法にも影響するからだ。

https://www.hokudai.ac.jp/news/2021/01/post-781.html
実際、今回は続編の余市果樹園の方は編集を変えて1分程度、新たなシーンを付け加えることになった。「●●先生が目指す未来とは?」というエンディング前の要素である。フォーマットとして統一感をもたせる意味もあるが、映像構成としても締まった。

2020年2月に伝統的なドキュメンタリー番組であるETV特集で、「おいでや!おやこ食堂へ」という番組があった。ETV特集で子ども食堂といえば、いかにも外国人労働者やシングルファザーの苦境を描いた、みたいな番組構成が容易に想像されるが、以下サムネイルを見るとそういうベタなドキュメンタリーとはちょっと違うことが分かるだろう。

©NHK

https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/3RJ25QZ622/
どっちが先か分からないが、映像デザインによって撮影方法や編集もちょっと変わっただろうと思う。例えば、通常の大きいテレビ取材用の業務用カメラでなく、一眼レフの質感の方が合いそうだ。

私たちの場合は、仕上げ直前にデザイナーに入ってもらったため余裕がなかったが、実際はつけるBGMや取材方法も変わったかもしれない。例えば車でいえば、デザインによって、内装のみならずエンジンやトルクなどのフィーリングといった走りそのもののコンセプトまで変わるということでもある。

カメラマンにもいろいろなプロがいるので、あえてスチルのカメラマンを使ってみるとか、編集マンもCMの方を起用してみるとか、関わるスタッフによってできるドキュメンタリーに多様性が出てくるかもしれない。

ここからは余談となるが、じゃあ編集にMacまたはWindowsを使った場合で違った映像になるのだろうか。使っているのは同じAdobe Premiere Proである。うまく言語化できないが、使用ツールもコンテンツの内容に影響するのではないだろうか。今回は事情があってカット編まではWindowsで作ったが、仕上げはいつもどおりMacにした。

しかし、そのような使用ツールによらない普遍的な名作というのもあるだろう。鉛筆や万年筆で描かれた名作の元原稿はそれ自体に作品性があってアートのようにも感じる。そういう内容そのものが力強い作品にも惹かれるものだ。

2021/1/27

2020 社会の構造が変わった年

今年は組織から離れ、個人で仕事をした年だった。外側から見ると、新型コロナウイルス感染症対応では、これまで日本の組織が抱えていた以下のような問題点が浮き彫りになったように思えた。

  1. 古いやり方がなかなか変えられない
  2. 評価や価値判断ができない
  3. 組織の力を結集できない

だが変わる能力のある組織は変化し始めた。例えば、印鑑廃止というのはそれに伴う業務プロセスすべてに影響するので、これまでのように何となく仕事を末端に押し付けていてはことは動かない。トップの決断が必要となるし、責任を負う覚悟も必要だが、印鑑廃止を始めた組織も多い。ものごとの価値を判断・評価できないという日本の宿痾において、印鑑と年功序列は何かつながっている要素のようにも思える。行き着いた究極形が、IT担当相がはんこ議連の会長という、、台湾の天才IT大臣と比べると壮大なブラックジョークの現実化である。
DXという言葉が流行っているが、デジタル化が本質ではない。アナログの方が効率の良い場面はあるわけで、教育も何でもオンラインやデジタルでやればよいというものでもない。トップがリスクをとって、一つ一つの結果を適切に評価しその都度、判断できるかどうかが重要だ。

DXでフリーランスの時代が来るようにも言われているが、逆にこれからはデジタルツールや普遍的な能力を獲得している人材を内部で育てていかないと、組織の成長もおぼつかない。
既得権益が有効で、組織が揺るがない時代は、外注の管理業務だけ任せられる無難な人材でもよかった。しかし、デジタル化は本質的な変化である。

2020年は本当に節目の年だった。私は来年度は組織にふたたび属する予定で、今度は自分が試されることになる。今までは権限がないので気が楽でもあったし、責任をとる必要もないので甘えたところもあった。
メディアの世界も激変した。個人の能力で生きていけるタレントたちがどんどん組織を飛び出し、新たな動きを生み出している。新聞にもテレビにも書籍の世界にもデジタル化による不可逆的な変化が進んでいる。

個人的には今年の仕事では登山VRが印象に残っている。新境地を開いたというほどではないが、これまで自分が好きでやってきたことがつながったような気がする。まだ進行中なので詳しくは言えないが、北大での仕事もだいたいやり終えた感じはする。それぞれに大きな組織に所属する優秀な若者とともに仕事をしてその成長を実感するという、指導者として幸運に恵まれたことが最大の収穫だった。無難に受発注業務だけこなすような人材ではなく、今後もプロフェッショナルとして創造的な仕事をしていくと期待する。
私はオールドメディア出身ではあるが、もう新聞とかテレビといった旧来の媒体の枠組みで語る時代でもなくなった。来年からは、新しい変化を起こすことに焦点を当てて仕事をしていきたい。

2020/12/30